東北学院幼稚園入園式

花冷えの日々であるが、本日の午後は多賀城市の工学部キャンパスに隣接する東北学院幼稚園の入園式であった。4月5日から宮城県・仙台市はまん延防止措置下に置かれたが、午後の幼稚園の入園式で、大学、中学・高等学校、榴ケ岡高等学校、そして幼稚園と、これで、学校法人東北学院の設置校すべての入学式を無事終了することができた。

(人生、初めての登園)

 

入園式では、34名が入園したが、保護者の列席を2名までに限定し、2回に分けて、入念な対策を講じた上での入園式であった。これまでの家庭での生活を離れて、初めて集団生活を送ることになった園児の表情は、母親から離れられずに困惑する園児から、集団生活になんらの抵抗感を覚えない園児まで、各人各様であったが、一年も経てば、キリスト教教育の下で著しく成長するから、幼稚園教育とは不思議なものである。

(島内久美子園長の挨拶)

 

島内園長の挨拶で印象的であったのは、むしろ保護者に向けられた言葉である。集団生活をするとわが子と他の園児を必ずや比較をするようになり、他の園児にできて、わが子にできないことを気にするようになる。しかし、幼稚園の段階では、それぞれの園児により成長が異なるので、あくまで暖かく見守ってほしいとのことである。

(園児にも分かるように、桜に譬えて、入園の意味を伝えようとしたが)

 

遠くわが身を振り返るに、3月生まれの私はかなり成長が遅かった。それだけに、園長の言葉は、妙に心に響くものがある。教育というものは、個々人の成長のテンポが異なるということを前提にしながら、園児、児童、生徒、学生一人びとりに、粘り強く働きかける根気のいる作業である。しかし、その実が稔れば、収穫はあまりにも大きい。

(学院幼稚園自慢の広い園庭)

 

最後に野村宗教部長が選んだ本日の入園式における聖書朗読の一部を引用しておく。「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、私を受け入れるのである」(マタイによる福音書18章4節5節)。