錦秋の仙台

晩秋とはいえ今年は暖かく、木枯らしが強く吹かないせいか、仙台では今なお、「錦秋の雅」を楽しむことができる幸いに預かっている。

もとより「森の都」「杜の都」という言葉は、広い武家屋敷の植木の多さに由来するが、現在のように市内の多くの道路に街路樹が植えられるようになったのは、戦災復興の都市計画により街路が整備されてからのことである。

(東二番丁通りのイチョウ並木)

つい先日も、土樋と泉キャンパスを往復した。往路の東二番丁通のイチョウとケヤキは眩いほどに空高く、泉キャンパス周辺のプラタナスは、泉岳から吹き降ろす「泉おろし」のために半ば葉を落していた。しかし、復路の愛宕上杉通りのイチョウの美しいこと、「黄色のトンネル」を潜り抜けるかのようで筆舌に尽くしがたい。これら南北の道路を「経糸」(たていと)だとすると、いわば「緯糸」(よこいと)である定禅寺通りのケヤキ、広瀬通のイチョウ、青葉通りのケヤキが織りなす錦秋の仙台は、「杜の都」として誰しも認めざるをえないであろう。

(東二番丁通り沿いの河北新報社の壁面には、新潟を含め白河の関より北の地方が描かれている)

ところで、街路樹の落ち葉はアスファルトが遮断し、腐葉土として直接土に帰ることはない。落ち葉を拾い集め、再利用するコストもそれなりに大変である。銀杏も多く育つであろうが、交通量の増大のせいか、最近の仙台では、拾う人も少ないとのことである。大地がもたらす自然のライフサイクルと直接リンクしないところが、「都市」という人工空間の限界なのかもしれない。

(東二番丁通り沿いのウェスティンホテルの前庭にある東北学院中高跡地の記念碑)