花の日礼拝―園児たちの来学―

花の日礼拝―園児たちの来学―

五月晴れの一日、多賀城市にある東北学院幼稚園のバラ組(年長組)の園児29名がスクールバスに乗って仙台市青葉区にある東北学院大学土樋キャンパスにやってきた。花の日礼拝ということで、原田善教理事長と院長である私に対して、花束を手渡して感謝の意を伝えるためである。

(園児たちから贈られた人物画の貼り絵。それぞれの園児が私の顔を描き、「いんちょうせんせいいつもありがとう」と記している)

 

可愛い訪問者たちの来学に理事長と私はほくほく顔で園児たちを迎えた。まだかまだかと待ちわびる私たちに園児たちはまず「長旅」から解放されて、息を整えてから正門を潜った。正門近くで挨拶を交わしたあと、花束と園児たちが心を込めて描いた人物画の貼り絵が私たちに贈られ、その後ラーハウザー記念東北学院礼拝堂に入り、賛美歌を一曲披露してくれた。毎日大学生の賛美の声が響く礼拝堂に、「天使の歌声」が流れたのである。その後、院長の私から、挨拶と日々神の愛に包まれて成長している園児たちをまえに、感謝の祈祷をし、理事長の挨拶でもって、務めを果たした園児たちは、昼食のためにホーイ記念館へと去っていった。

(園児たちをまえに挨拶とお祈りをする。大学生と異なり、まだ背もたれから頭が見えるか見えないかの大きさである)

 

初等教育の入り口である幼稚園と高等教育の出口である大学が結びついていることの意味は大きい。特に東北学院幼稚園においては、キリスト教教育、いわばキリストの愛による人間教育が着実に施されている。勉学によって測られる認知能力よりも、キリスト教の教えを通じて身につく他者への思いやりや感謝の心、集団的ルールの順守のような非認知能力が重視されるのである。教育経済学者の中室牧子氏によれば、非認知能力をしっかり身につけさせている幼稚園の卒園生はその後の人生において良い結果を残すというデータがある(同氏『学力の経済学』参照)。人間には、それぞれの成長段階に応じた適切な教育が必要なのである。東北学院は、小学校こそ設置していないが、中学・高校、そして大学と非認知能力を重視しながら、認知能力を伸ばしていく一貫教育体制を整えている。今日大学に来た園児たちの智徳並行の成長を祈りたい。

「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(ルカによる福音書18章17節)

(別れの際に、理事長と私からプレゼントである学院タオルを渡す。汗をかきながら成長してもらいたい)