大学卒業式

大学卒業式

今日大学の卒業式が五橋キャンパス押川記念ホールで、3回に分けて挙行された。めでたく卒業したのは、博士6名、修士50名、学士2516名である。保護者の皆様のお喜びと併せて、心より祝福したい。今回の卒業式の特徴は、6名の博士号取得者を送りだしたことである。内訳は、課程博士5名、論文博士1名である。当初、各研究科代表者1名に博士号を授与するということになっていたが、博士という尊い学位の取得に祝意を表すためにそれぞれ登壇してもらい私から直接授与することにした。併せて本学においては学長、宗教部長以外にガウンを着用する慣習がなかったが、急遽博士用のガウンを調達し、希望者に着用してもらった。心残りは、背中に垂らすフードの調達が間に合わず、とりあえず、学院ブルーのスツールを掛けてもらった。

(文学研究科アジア文化史専攻の真柄侑さんに博士号学位記を授与する。ガウンと袴という和洋折衷のいで立ちである)

 

さて、卒業する学部生たちであるが、コロナ禍の2年目に入学した。学部学科代表者の出席のみによる入学式から始まり、遠隔授業が続いた。しかし、次第に対面授業が許されるようになり、対面拡大の喜びと、遠隔授業によるPC操作技術修得の両方を経験できた学生生活だった。そして泉・多賀城の郊外型キャンパスライフと、五橋キャンパスの開学により都心型キャンパスライフの両方を経験した学年であった。

(友人との別れを惜しんで五橋キャンパス押川記念ホールの卒業式には多くの卒業生が出席した。今日で学生生活も終わりである)

 

私の式辞では、近年顕著に進展しつつある東北の人口減少、少子高齢化による危機を卒業生に訴えた。20年後には、東北6県において、生産人口(15歳から64歳)よりも老齢人口(65歳以上)が多くなり、30年後には、出産可能人口である女性(15歳から49歳)が半減する県の5県はすべて東北であり、半減せずとも6県目は宮城県であると予想されている。

(第1回目の答辞。卒業生総代は工学部情報基盤工学科伊藤太一君)

 

本学の在学生の9割以上は東北6県の出身であり、卒業生の半数以上は東北6県に就職する。このような状況の中、故郷東北の未来を担うのは、まぎれもなく「東北学院」(North Japan College)の卒業生の責務である。本学三校祖の一人押川方義は、東北に購買力がなく「白河以北一山百文」といわれていた時代に「東北をして日本のスコットランドへ」と述べ、本学の目的を明らかにした。押川の理想の中には、ジョン・ノックスによるプロテスタント宗教改革の牙城としてのスコットランドと、機関車製造・造船業が盛んな産業革命のスコットランドの両方のイメージがあった。それは、押川が明治初期にスコットランド医療宣教会派遣のセオボールド・パームの助手をして、パームが最新の医療技術であるリスター防腐法を用いた手術で日本人の命を救うのを目の当たりにしたからである。人口減少、少子高齢化に抗うのは並み大抵のことではない。しかしながら、本学卒業生が東北学院の使命を自覚し、スクール・モットーであるLIFE LIGHT LOVEの精神を発揮するならば、東北の未来はそう悲観すべきものでもないといえないだろうか。