寄付文化と私立学校
束の間の夏休みを頂いていたが、今日からブログの再開である。今日は、日本キリスト教団仙台東一番丁教会の敬愛する瀬谷牧師と宮川長老が理事長室を訪問、新型コロナウイルス感染症に苦しむ学生・生徒の救済のためにと、同教会での募金の中から寄付金を東北学院に寄贈してくださった。同教会は、他にも仙台市内の2つのプロテスタント・キリスト教学校である宮城学院、尚絅学院にも同様の寄付をしている。今から134年前に東北学院が仙台神学校として産声を上げたのち、校舎を建築した時、その校舎は東一番丁教会の前身である日本基督一致仙台教会の隣接地に建てられた。その後、東北学院と改称してからも、東北学院は、アメリカ・ドイツ改革教会の寄付の下に発展してきたので、まさに教会と学校は、母と子の関係に譬えることができる。
(目録を手にする瀬谷牧師と原田理事長、左手から齋藤法人事務局長、宮川長老)
日本では「公共」というと、いわゆる「上から」の近代化により、「お上」や「地方公共団体」という言葉に端的に示されいるが、中央政府や地方政府(自治体)のことを指しており、中央であれ、地方であれ、政府である「官」だけがその役割を果たすと解釈されてきた。しかしながら、海外、とりわけキリスト教文化圏においては、学校にせよ、病院にせよ、福祉施設にせよ、公共的な性格を帯びた団体は、「民」である篤志家の寄付によって財団が作られ、その財団の寄付行為として、運営主体である法人が組織されてきた。意外であると思われるかもしれないが、世界初の「公共住宅」は、16世紀ドイツのアウグスブルクにおいてヨーロッパ最大の豪商で篤信のカトリック教徒ヤーコブ・フッガーによって建築されたフッゲライに由来し、世界初の「公共図書館」は、18世紀アメリカ合衆国フィラデルフィアにおいてプロテスタントの発明家ベンジャミン・フランクリンの財団に由来する。
先月7月15日には、東北学院同窓会からも寄付をいただいた。早速、COVID-19により家計支持者が困窮した中高、榴ケ岡高校、大学の生徒・学生への給付型奨学金として使わせていただいている。教会や同窓会に限らず、多くの方々から寄付を頂けるということは、私立学校にとって公共性の度合いを示すバロメーターだといえよう。
(目録を手にする原田理事長、隣は、後藤同窓会長と小原副会長)
あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ(マタイによる福音書6章19-21節)。