東日本大震災、児童の命を守った校長先生
ベテラン職員の方から、授業聴講のおススメをいただいた。東日本大震災の際に児童や地域の人びとの命を守った校長先生が「震災と復興」という授業のゲストスピーカーとして来学するので、ぜひ聴講してほしいとのことである。校長先生の名前は伊藤公一先生。現在は退職しておられるが、東日本大震災当時、海岸近くに位置する仙台市立中野小学校の校長であり、本学経済学部出身のクリスチャン教師である。先生は2008年に同校に2校目の校長として赴任、2011年3月11日は、低学年の児童を帰宅させ、卒業式の最終練習を終えたところで、未曽有の大震災と、その後の大津波に襲われた。
(伊藤公一さんは、経済学部在学中、ビジネスマンを夢見ていたが、夏休みの海外旅行で遭遇したイタリアの小学生兄弟との出会いから小学校教員を目指した)
伊藤校長は母校において、200人以上の学生を前に90分間3.11の経験を語った。中野小学校の中高学年の児童全員と学区民といわれる地域の人びと総勢645名を屋上に挙げ、全員の命を守った。危機管理の責任者として、私の心に響いたのは、3.11当日の出来事もさることながら、「金で人の命が買えるのか」と叫んで導入した3年前からの避難訓練である。学校は行政組織であり、年間スケジュールと人員配置・予算が前年度後半には承認され、それに基づいて当該年度は運営される。4月に赴任した新任校長が地域からの依頼とはいえ、当該年度のスケジュールに避難訓練を加えることに教職員からの多くの異が唱えられ、抵抗があったことは容易に想像される。避難訓練によりできなくなった授業をどこで、誰が補うのか。給食の話をしていたが、すでに購入した食材はどうするか。余分な費用が発生するではないか、等々。現場のため息が聞こえてくるというものである。
(話に聞き入る「震災と復興」の受講生たち)
しかし、伊藤校長は「命の尊厳」という神の前で人間が大切にすべきものを第一義として唱え、現場の了承をとりつけた。3年間毎年避難訓練をした。小学校の周辺には高い構造物がない。児童や避難してくる校区民を全員屋上に上げ、津波に備えるという対応は、校長の指導の下にすでに確立していたのである。何もしないで平穏に過ごしたいというのが人の世の常であろう。しかし、大切なものを第一義として日常を再構築する勇気と知恵がなければ、被災当日いたずらに混乱を引き起こし、結果的に大惨事につながりかねないという教訓を教えていただいた。地震到来の前に保護者に引き渡して帰宅させた低学年46名も幸いなことに無事であったという。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(コリント信徒への手紙一10章13節)