自由学園の見学と、涙を糧に希望の襷をつなげよう

自由学園の見学と、涙を糧に希望の襷をつなげよう

11月だというのに、全国的に夏日となった3連休は、原田理事長と一緒に会議と応援の3日間を過ごした。3日と4日は、東京都東久留米市にある自由学園において、プロテスタント学校法人が加盟するキリスト教学校教育同盟の理事会と代表者協議会が開催され、出席した。自由学園は、大正デモクラシーの時期に婦人之友社を創設した羽仁もと子が夫の吉一と一緒に設立した学校で、キリスト教を土台とし、自労自治を教育目的とした学校である。3日夜は、設立100周年を迎えた高橋和也学園長と村上民先生から自由学園の教育実践と、100年史を基にしたデジタル・アーカイブ作成に関する講演を聴き、4日は、自由学園男子部・女子部(中学・高校、2024年度より共学)の生徒たちが労作(栽培や調理)で料理した昼食をいただいた後に、武蔵野の一角に残る広大なキャンパスを一巡した。私は、院生時代に自由学園の近所に住んでいたことがあり、生徒たちが家畜の世話や畑作をしていたことを知っていたので、今回案内していただいて、そのユニークな教育実践をよく理解できた次第である。

(自由学園の広大なキャンパス。フランク・ロイド・ライトと助手の遠藤新が設計・建築した男子部体育館)

 

また代表者協議会には、全国各地から集うキリスト教学校の校長、学長、院長、理事長の研修の機会があり、2025年度から施行される私立学校法ガバナンス改革について伊藤彰浩西南学院大学教授の講演を受けて、分団討議が行われた。私は、小規模の大学・専門学校の参加者から構成される分団の司会を担当した。近年、少子化やコロナ禍の影響によって、とりわけ地方小規模校の経営状況の悪化は著しい。私学としての個性や、時代の要請、地域の課題解決のための教育・研究における実績を地道に打ち出していかないと、状況は改善しないように思われる。

(熱田神宮前をスタートする各校の選手たち。右から6番目の白地にGのマークが本学第一走者)

 

4日夜東京から名古屋入りをして、5日の第55回全日本大学駅伝対校選手権大会の応援に臨んだ。本学は東北地区代表として13回大会ぶりの出場であり、応援は大いに盛り上がった。応援団、吹奏楽団、チアリーダーの応援三者はもちろん、理事長、学長、教職員、同窓会長、同窓会東海支部長、七十七銀行名古屋支店長、選手の保護者、名古屋在住の卒業生による応援がなされた。といっても、熱田神宮前で応援合戦を繰り広げ、第一走者の出発を見届けたのちにバスで移動し、伊勢神宮前で応援合戦を繰り広げながら、最終走者を迎え入れるというものである。ところがである。11月とは思えない暑さは東北の選手には過酷であったのか、第5区で途中棄権ということになってしまった。先日、キャプテンが学長室を訪れた折に私は13大会ぶりの出場なので、初出場のようなものだから、コンデションを整えて襷をつなぐことをまず考えてほしいと話しておいただけに、残念至極である。だが、一番悔しい思いをしているのは、当の本人であり、チームである。陸上競技部の顧問教員に選手の様子をきいたところ、悔し涙が流れていたという。大会本部の判断により、6区の繰り上げスタートが叶い、最終走者のゴールを見届けることはできた。しかし、記録は残らず、襷もつなげなかったのは事実である。本人はもとより、チームにはまだ次回の大会がまっている。悔し涙を糧にして、練習に練習を重ね、次回も大会に出場し、今度こそ希望の襷をつないでもらいたいものである。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ信徒への手紙5章3,4節)。

(学院カラーのブルーと新しいブランドマークで応援する東北学院大学応援団)