幼稚園運動会と絆の大切さ

幼稚園運動会と絆の大切さ

酷暑の毎日から、ようやく解放され、涼しさを感じる今日この頃である。土曜日は院長として、原田善教理事長とともに多賀城市にある東北学院幼稚園の運動会の来賓となり、園児と保護者たちを応援してきた。

(来賓席の前を園児たちが入場行進する。いよいよ始まりである)

 

昨年度から幼稚園の運動会は、隣接していた大学工学部のグランドではなく、園庭において開催されるようになった。今年度からマスクを外してもよいことになり、応援に来る家族の人数制限も解除され、園庭は熱気に包まれた。少子化の時代である。園児によっては、ご両親と、父方・母方双方のおじいさん、おばあさんの総勢6人による応援団も駆けつけ、園児に対する期待は高まるばかりである。

(理事長と私の仕事は、徒競走のメダル掛け。例年のことながら惜しくも負けた園児の悔しさを受け止めながら、褒め称える)

 

かつて幼稚園や小学校の運動会は地域社会の一大イベントであった。運動会で活躍するのは園児だけではない。プログラムには、園児と父親・母親による親子競技、さらには綱引きなど大人の競技が組まれている。日本の地域社会において、血縁、地縁が強固であったときには、幼稚園や小学校の運動会の競技を通じて、地域社会に大人のヒーロー、ヒロインが誕生し、人びとは大いに盛り上がったものである。

(大人の種目である綱引き。マイクを持ちながら仕切るのは法人事務局次長を兼務する伊藤寿隆幼稚園事務長)

 

今日の日本は、都市化と核家族化が進行し、地域社会の結束はずいぶんと弱まった。というよりも、職業の多様化、ライフスタイルの多様化によって地域社会の結束は難しくなっている。しかしながら、運動会の親子競技や大人の競技を観戦して感じることだが、父親や母親が園児たちと一緒になって競い合い、園児たちの期待と喝采を一身に浴びながら、ヒーロー、ヒロインとして頑張っている姿を見ていると、日常生活では得られない親子の絆、家族の絆、地域の絆を運動会がいまだ担保しているのが分かる。

(年中組のこの親子は、つい1年半前の入園式では、大泣きした園児に対して父親は途方に暮れていたのを覚えている。いまやデカパンに一緒に入り、ともに走りだそうとしている)

 

都市化や少子化により、伝統的な共同体は崩壊したが、運動会のプログラムにある親子競技や大人の競技を通じて、絆や信頼が生まれている。その絆や信頼は、幼い園児たちの成長にとってどれほど大切なものだろうか計り知れない。騎馬戦で逞しい父親の背に乗っかって敵の帽子を取った時の嬉しさ。手をつないで一緒に走った母親の手の柔らかさ等々。親子、家庭、地域への愛情や信頼は、本人の記憶に留まり続け、人間の成長にとって大切な資産として、長い人生において大きな役割を果たすのではないだろうか。キリスト教による人格教育を建学の精神とする東北学院幼稚園の運動会を観戦して、そう感じた次第である。