キリスト教史学会第74大会公開講演会
土曜日の「校歌を歌う会」の終了後、私はもうひとつの役目を果たさなければならなかった。キリスト教史学会第74回大会が並行して五橋キャンパスで開催されており、そのメインイベントであるシンポジウムにおいて司会を仰せつかっていたからである。私も会員であるキリスト教史学会は200名ほどの小規模な学会であるが、この3年間に山梨英和学院大学、日本大学法学部、南山大学を開催校として開かれたいずれの大会においても、コロナ禍のために対面での開催ができなかった。それゆえに、今回の東北学院大学での大会は、全国の会員の多くにとって久々の再会の機会を提供した。例年、個別の研究発表を中心に大会が進行するが、メインイベントにシンポジウムが組まれており、そのテーマには、開催校ならではのテーマが取り上げられる。
(共催者の本学キリスト教文化研究所が作成したポスター。この公開講演会は同研究所の第62回学術講演会でもある)
今回のシンポジウムでは「平和憲法を作った男:鈴木義男―東北とキリスト教ー」がテーマとなった。しかも、多くの市民の方々にも聴いてもらいたく公開講演会として、200名を超える参加者のもと押川記念ホールにおいて行われた。鈴木義男という人物は、戦後直後の国会議員時代に、憲法制定の礎となった芦田小委員会のメンバーとして活躍し、GHQ草案にはなかった「平和」という文言を第9条に挿入し、やはり自由主義アメリカ流のGHQ草案にはなかった「すべて国民は健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という「生存権」を第25条として創設した人物である。芦田小委員会の発言録が公開される以前は、誰が平和憲法を作成したのか諸説紛々であり、生存権は森戸辰雄の発案といわれてきたが、近年急速に脚光を浴びる存在となってきた。
(公開講演会終了後、五橋キャンパス近くのレストラン&カフェMEINAで開かれたキリスト教史学会の懇親会で談笑する仁昌寺先生(左)と油井先生(右)ー雲然祥子氏のSNSから)
東北学院大学において、鈴木が東北学院普通部(中学)の卒業のクリスチャンであったことから、これまで学院史資料センターを中心に研究が重ねられてきた。そこで、基調講演者として、今年筑摩書房から鈴木義男に関する著書を出版した本学名誉教授の仁昌寺正一先生に鈴木の功績と生涯を語っていただいた。基調講演を受けて、岩手県立大学宮古短期大学部専任講師の雲然祥子先生に、東北の出身であり鈴木の旧制二高、東大の先輩であり、恩師にあたる吉野作造との関係について発題してもらい、その後、本学国際学部教授の松谷基和先生が発題し、鈴木が戦前の弁護士時代に朝鮮独立運動関係者を弁護した背景には、東北学院に留学し、鈴木と同様に弁護士となった朝鮮人留学生との接点があったことを指摘した。休憩を挟んだのち、鈴木の孫であり、東京大学・一橋大学名誉教授で、日米現代史家の油井大三郎先生にコメントをしていただいた。3時間におよぶ長丁場であったが、議論が活発に交わされ、会場からの質問にもわずかしか答えられないぐらいであった。すべて司会者の不徳の致すところである。なお、このシンポジウムについては、翌朝の「河北新報」に小さな記事が掲載されたほか、キリスト教史学会刊行の『キリスト教史学』第78集にその要約が掲載される。