デフォレスト館と神戸女学院

デフォレスト館と神戸女学院

東北学院大学土樋キャンパスの一角にデフォレスト館という重要文化財があるのをご存じだろうか。というのは、東日本大震災後、この建物は修築を必要とするために立ち入り禁止となっており、建物の周りには塀が設けられ、人目を忍ぶように保存されているからである。

(デフォレスト館正面。コロニアル・スタイルの建築様式ながら、玄関には鬼瓦がみられる)

 

このデフォレスト館を一目見たいと神戸から賓客がやってきた。神戸女学院理事長・院長の飯謙先生である。デフォレスト館、じつは、神戸女学院の発展に尽力したシャーロット・デフォレスト宣教師が育った場所であり、この度、飯先生は、仙台市北山の輪王寺境内にある同宣教師の墓前において開催される召天50周年記念礼拝に出席するために来仙したのである。

(中央が飯謙先生。飯先生は、私とほぼ同世代であり、私の前任校ご出身で、教会音楽にも造詣の深い先生である。その左側は、随行した本学の大門耕平専任講師。日本の洋風建築を数多く残したウィリアム・メリル・ボーリスの建物についての研究者でもある)

 

デフォレスト館は、1887(明治20)年に建設され、以来136年間、仙台市最古の木造西洋建築として広瀬河畔にたたずみ、仙台市内の発展を見つめてきた。現在は東北学院の構内の一角にあるが、もともとは同志社創立者の新島襄が仙台に来て設立した東華学校の宣教師館であった。新島とシャーロット宣教師の父であるジョン・ハイド・デフォレストは、この建物において東華学校の将来を熱く語り合ったことであろう。残念ながら、仙台の公教育にも影響を及ぼした東華学校は短命に終わり、この宣教師館は戦後、東北学院の所有となり、シップル宣教師一家が住んでいたことからシップル館とも呼ばれた。

(神戸女学院第5代院長シャーロット・デフォレスト宣教師 1879-1973;学校法人神戸女学院所蔵資料。墓前での召天50周年記念礼拝には、在仙の神戸女学院同窓生が集まった)

 

私も着任後初めてこの建物に足を踏み入れたが、損傷はそうひどくはなく、歴史的建造物としての復元は十分可能であるように見受けられた。学校法人東北学院は、仙台における近代教育の拠点であったこの重要文化財を復元、公開して、市民の内覧に供する計画を立てているが、調査や工事などが控えており、もうしばらく時間がかかりそうである。