広瀬川散歩(3)

広瀬川は、縦横無尽に空を飛び回る水鳥にとって「滑走路」のようなものである。譬えるならば、爆音こそ聞こえないが、シカゴのオヘア空港か東京の羽田空港のように離発着数の多い都心型空港なのである。

(広瀬川「滑走路」)

特に冬の広瀬川には、県北の伊豆沼に行きそびれたのか、渡り鳥のオオハクチョウ、コハクチョウのような大型機が華麗に着水して羽根を休め、ガンのような中型機が編成飛行を繰り返し、マガモ、キンクロハジロ、オオバンなどの小型機がプロペラのようにバタバタと羽根を動かしては勢いよく飛び立っていく 。

(冬の渡り鳥オオバンの一群)

今日は、留鳥のカルガモ親子が微笑ましく泳いでいた。おそらく、人間も動物も近寄ることのできない中洲において営巣活動をしているのだと思われる。散歩がてら、こうしてバードウォッチングを楽しめるのも、宮城県やNPOである広瀬川の清流を守る会による自然環境保護活動の賜物である。

(カルガモの親子)

聖書では、思い悩みの多い人間を諭して、イエスが鳥についてこう言っている。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(マタイによる福音書6章26節)。この言葉は、何も労せずともよいという意味ではなく、思い悩んだ挙句、自分を絶えず攻め立てる小さな人間に対して、神の大いなる愛とはどういうものであるか、大空を自由に舞う鳥の姿を例に示したのである。

(ハクセキレイ。川べりだけでなく、市内でも見かける)

中島みゆきさんの歌詞に「ああ人は昔々鳥だったかも知れないね。こんなにも、こんなにも空が恋しい」という一節がある。確かに人間の歴史はせいぜい数百万年前なのに対して、鳥は一億年前からこの地球で生きてきた。そして、鳥インフルエンザという言葉が端的に示しているように、ウイルスとの共生の歴史も長い。Covid-19に悪戦苦闘している人間を鳥はどう見ているのだろうか。グローバル時代なのに、海外の大学との交換留学は中断したままである。「こんなにも、こんなにも空が恋しい」のは学生や研究者の思いでもある。