広瀬川散歩(1)

職業柄、デスクワークと会議が多い私は、できるだけ歩くことを心掛けています。新鮮な海の幸、山の幸にめぐまれた仙台に来てからは、放縦を戒めるべく、時折ジョギングスタイルで駆け出すのですが、年齢のせいか、途中で散歩に代わってしまいます。そのような私を楽しませてくれるのが、都市の中にある自然、広瀬川です。

 (宮沢橋より都心を望む)

上流は作並温泉のさらに奥へと遡る広瀬川は、市内に流入するや流れの緩やかな川になります。その理由のひとつは、川を横断するいくつかの堰提にあるようです。愛宕堰は、農業用水である七郷掘、六郷掘の取水のために構築されました。伊達政宗がこの地に、千代、のちに仙台と改名しますが、大きな城下町を建設した時、広瀬川は、城下町のみならず周辺の農村の農業用水、生活用水、産業用水、舟運のための大動脈でした。愛宕堰ができる前は、文字通り七つの村落に水を供給していた七郷掘の取水口が、六郷掘の取水口のほんの少し上流に位置したために、七郷掘と六郷掘の農民同士の争いは絶えず、1954年に愛宕堰を構築し、そこから取水した水を仲良く分水することによって、平和的解決がなされたとのことです。

 (愛宕堰取水樋門、左が広瀬川、右が七郷掘。七郷掘はすぐに六郷掘と分かれる)

堰提で思い出すのは、昨年12月にアフガニスタンで銃殺されたペシャワール会現地代表中村哲さんのことです。中村さんは、キリスト教海外医療協力会(JOCS)の医師として初めパキスタンに派遣されるのですが、「私は医療関係者だが、薬だけでは人々の健康は守れない。清潔な水、それから十分な食べ物を確保するために、かんがい事業が欠かせない」と考えて、独学で土木を学び、故郷九州の山田堰をまねて、アフガニスタンの川を堰き止め、乾いた土地に水を引き込み、緑豊かな農地を拓きました。更には、アフガニスタンの人びとのためにと、イスラム教の寺院であるモスクまで建設し、提供したのです。中村さんの思いと行動は、アフガニスタンの人々に感謝され、平和構築の具体的な行動として私たちの胸を打つものがありました。

 (愛宕堰、手前の緑は、生物環境保護のための中洲の木々)

中村さんの思いは、Covid-19の中に置かれた私たちに生き生きと語りかけるものがあります。「清潔な水、それから十分な食べ物」が今ほど求められている時はないのではないでしょうか。ニューヨークでは、手洗いに必要な「清潔な水」を十分に確保できない貧困層に死者が多いということ、貧富の格差の大きい南アメリカ諸国、そしてアフリカにおいて新型コロナ感染症が爆発的に拡大しつつあることを考えると、愛宕堰は、水と平和の関係の大切さを教えてくれています。

 (広瀬川沿いの散歩道、思いは通じるか)